2017弘前訪問記3〜こぎんの老舗・弘前こぎん研究所〜
弘前こぎん研究所は、昭和37年(1962年)に戦後津軽の産業衰退からの再起をこぎん刺しに託して、当時の財団法人木村産業研究所が創設した青森ホームスパンから改称し、こぎん刺し製品の本格生産をスタートさせました。木村産業研究所は、昭和7年(1932年)に農村に家内工業を興す目的で設立されました。その中でホームスパンという毛織物に取り組む一方で、廃れかけたこぎん刺しに再び脚光当て全国に紹介した柳宗悦氏の勧めでこぎん刺しの研究に着手していました。
弘前こぎん研究所の白い建物は、弘前市役所と同じく日本建築界の巨匠・前川国男の作品です。彼が27歳の時に初めて手がけた建物で、築86年にもなりますが、現役で大切に使われ続けていることは素晴らしいことです。私たちが訪れた時は雪の中で只々真っ白ですが、中に入ると前川の師であった世界近代建築の巨匠でフランスの建築家ル・コルビジェの影響が随所に見受けられます。特にエントランスポーチの天井は見上げると南仏の太陽のようなオレンジで極寒の弘前にいることを忘れさせてくれます。
有難くも私たちが訪ねたこの日は、成田貞治所長にお会いすることができました。昨年9月に地元紙・東奥日報に掲載された私たちの記事も持っていてくださいました。こぎんバンクのサイトは研究所でも利用してくださっているとのこと。こぎんの専門家に利用していただけるなんて、私たちには予期しなかったことで、とても恐縮してしまいます。このサイトに利用価値を見出していただけて光栄であり、とても嬉しいことです。
弘前こぎん研究所では欧州の展示会へも頻繁に出展しています。欧州ではこぎん刺しを織物だと思われてしまうのだそうですが、実際に刺してる様子を見せると皆さんとても驚かれるそうです。
この日は作業場を見せてくださいました。
弘前こぎん研究所では実際に模様を刺す刺し子さんは内職で依頼しているため、研究所で刺している作業は見ることができませんが、その内職に依頼する材料の取り纏めや指示書の作成、そして刺しあがった布の検品や仕上げをこの作業場で行っています。
内職の刺し子さんは常時30名ほど稼働しています。農家の方の登録も多いので、収穫の時期などによって稼働している刺し子さんの人数が変動します。今もなお地域の農閑期産業としてこぎん刺しは根付いています。
このこぎん刺しの帯は、熟練の刺し子さんでなければできない製作です。糸目の張りを均一に保ちながら模様を刺していくのにはかなりの経験が必要なのです。写真奥に見える帯の裏面も、裏に隠れてしまうにはもったいない美しさです。
研究所内では帯用の小巾の布だけは手機織機で織っています。この織機は木村産業研究所当時のホームスパン時代から使われています。
一般的に現在の布は、機械で織られるため布を構成するタテ糸とヨコ糸の密度比は1:1になっています。そのため、市販の布でこぎん刺しを施すと模様は正方の菱形になりますが、昔のこぎん刺しはどれも模様が縦長になっています。それは手織機の特性によるもので、当時は手織機でヨコ糸の密度をタテ糸に揃える事は難しかったようです。弘前こぎん研究所では昔ながらの縦長の刺し模様を実現するために布目が縦長になるように特注で布を生産しています。
このアイロンを実際に持たせていただいたこぎんバンクスタッフは、その重さにびっくりしていました。この重いアイロンによって、写真手前左側にある刺し子さんから上がってきた布が右側のようにピリッと綺麗に仕上げられます。
この生成地のこぎん刺しは、前日に伺った弘前市内のセレクトショップgreenに置いてありました。私たち、お店の素敵さと買い物と、おしゃべりに夢中になってしまいお店の取材を忘れて出てきてしまったのですが、オーナーさんの人柄溢れる雰囲気の素敵なお店でした。オーナーの小林さんは、もともとは地元での消費を意図してこぎん刺し製品の販売をスタートしたのだそうです。最近は観光客が多く脚を運ばれ買い求められると仰っていました。
弘前こぎん研究所は見学を希望される方はいつでも受け入れています。スタッフの皆さんが私たちの質問に作業の手をとめて快く丁寧に応えてくれるので、仕事の手を止めてしまい申し訳ないなと思ってしまいました。でも、お店で見かけるこぎん刺し製品がこの研究所スタッフの皆さんや、刺し子さん、染屋さん、織屋さんなどたくさんの人の手を渡って出来上がる製品であることを肌で感じる事ができ、この取材以来お店に並ぶこぎん商品に強い親近感と愛着が湧いてくるようになりました。弘前こぎん研究所の皆さんありがとうございました!
弘前こぎん研究所について
昭和7年(1932年)に農村に家内工業を興す目的で『財団法人木村産業研究所』が設立。ホームスパンに取組む一方で、柳宗悦の勧めでこぎん刺しの研究にも着手していました。昭和37年に木村産業研究所にあった『青森ホームスパン有限会社』が戦後の津軽の産業衰退からの再起をこぎん刺しに託し、『有限会社弘前こぎん研究所』に改称。こぎん刺し生産を本格的に始動させました。現在は国内のみならず、海外にもこぎん刺しを発信しています。
現在のこぎん研究所の建物は日本建築界の巨匠・前川国男が昭和7年に手がけた処女作として有名です。こちらの建物の2階には弘前こぎん研究所をはじめ、弘前市内に在る前川建築の資料が展示されています。