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糸を作る〜藍染めを知る〜

2018.11.27


デニムや制服など、衣類に関する藍色・紺色はとても当たり前すぎて、今まで疑問を感じることはありませんでした。しかし、こぎん刺しを知るようになって、古いこぎん刺しはどれも藍染の布に白い糸の刺し子ばかりであることが、だんだん不思議に思えてきました。江戸時代の浮世絵を見ても、藍以外の色の着物があるのに、こぎんは藍染しか見つからないのは何故なのか?そして、藍染めには蒅(すくも)があって発酵が必要で…と、どうも他の色の染色とは勝手が違うようなのです。

 

本藍染雅織工房の中西社長に糸染めをお願いしてきました

 

この度、幸いにも天然本藍染のこぎん糸を作ることができました。染めてくださるのは、京都の本藍染雅織工房さんです。本藍染雅織工房は藍染料の名産地・徳島県産の佐藤蒅(すくも)を使い、昔ながらの天然灰汁醗酵建藍染(てんねんあくはっこうだてあいぞめ)を行なっています。品質を保つことが難しい天然素材と職人の技術で京呉服・西陣織に確かな藍染のクオリティーを提供し続ける凄腕の染師達がいます。先日、実際の染めの様子を拝見させて頂き、天然本藍染を学んで来ました。

 

藍の古い歴史


世界最古の藍染めは、南米ペルーで約6200年前の遺跡から発見された藍染の綿織物とされ、世界最古の染料と言われています。藍の英訳であるindigo(インディゴ)はインド発祥の藍が語源です。インドの藍は太古からヨーロッパに普及していました。日本では独自の蓼藍と区別してインド藍と言います。ところで、世界で藍染めに使われる藍植物は一種だけではありません。全世界で100種にも及ぶと言われています。インド藍はマメ科の植物。日本でも沖縄の琉球藍はキツネノマゴ科、かつて北海道のアイヌ民族に存在した藍染めはアブラナ科のタイセイという植物。日本本土では育ちやすいタデ科の植物が藍染めに使われていました。

 

日本での藍染めの歴史は、飛鳥時代647年に七色十三階の冠制の衣服に濃縹(こきはなだ)という藍の色が確認されています。現存するものでは、752年の東大寺大仏開眼供養に用いられた「縹縷(はなだのる)」という濃い藍色の紐が奈良・正倉院に残されています。この時代の京都の遺跡からは藍田(らんでん)が発掘されており、日本の藍染めは京都が発祥と考えられています。また、鎌倉時代の武士たちは藍の色の中でも褐(かち)色を縁起かつぎに多用していました。全国に藍染めが広がるきっかけは応仁の乱。全域が戦場となった京都から逃れた人々が各地で藍の栽培や染めを始め、江戸時代には庶民にも広く普及するようになりました。

 

禁止令を逃れ生き残った奇跡の種


本藍染雅織工房が使っている藍植物はこの白い花の蓼「白花小上粉」という品種です。茎や花が赤いものは野道でよく見かけたことがあります。蓼は田んぼ周りに種をまいて虫よけとして昔から生育していたこともあるので、皆さんもどこかで目にしたことがあるかもしれません。蓼は枯れると葉が青くなります。藍染めはこの葉の部分を使って染めます。

 

 

国内では藍に使われる蓼には花と茎の色の違いで3種類存在します。この3種の中でも白花小上粉は藍染めの主成分含有が他の品種より高く、江戸時代には蓼藍の一級品とされました。しかし、生育に手間がかかるために積極的に生産する者は少なかったそうです。また戦時中には禁止作物に指定されました。当時、徳島で代々製藍を生業としていた佐藤家の17代目・平助はこの禁止令による絶滅を危惧し、憲兵に隠れて育て、種を採り続けていました。その種から繋がって、この白花小上紛があります。白花小上粉は現在、国内ではこの佐藤家でしか生産されていません。

 

藍染めの工程


藍染めの蒅が出来上がるまでは約2年弱の時間を要します。3月の種まきに始まり、6月の1番刈りと乾燥、7月下旬の二番刈り、9月から約100日に及ぶ製藍という発酵作業を経て蒅が出来上がります。できたての蒅は叺(かます:ムシロで作った袋)に詰めて出荷します。そして更に1年そのまま寝かせます。そしてようやく、藍建てと呼ばれる、染液を作ることができる蒅になります。

 

染液の材料は蒅(すくも)・灰汁・石灰・日本酒・麩(ふすま)だけ。この材料を甕の中で約10日間、じっくり発酵をさせて染料が出来上がります。

 

甕の真ん中にこんもり浮いている泡が藍の華と呼ばれ、染める準備が整った印です。

甕が埋まっている床下ではヒーターで温めた砂によって甕の発酵温度が保たれています。温度が1〜2度上がると腐ってしまうのだそう。寒暖差の大きい京都で発酵温度を管理していくのは大変だろうと思います。

 

藍染には「藍四十八色」という言葉があるくらい色数がたくさんあります。染場にいくつか並んでいる甕は、発酵度合が違い、その度合の違う甕の使い分けと染めの回数で色の濃淡を調整します。

 

竈に浮いた藍の華を取り除き、染めの準備に入ります。

 

 

浸けた時は茶色い澱のような染液が糸に乗り。徐々にそこから緑色に変わっていきます。

 

 

 

ゆっくり甕の中で藍液を浸透させた後は絞ります。

 

 

足で抑えている竹の太さと手に持っている竹の太さが違います。染めの準備の際、職人さんがスニーカーから地下足袋に履き替えていたことと、これは単に昔ながらの道具を使っているのではなくて、加減よく職人の力が作業に伝わるベストな道具なのではないでしょうか。キリッと絞れている様子にそう思わされます。

 

 

次第に余分な染料が絞り出され綺麗な青に色が変わってきました。

 

 

甕から上げたら、今度は叩いて糸の中に空気を入れます。そうすることで糸の中まで染めを進行させることができ、ムラのない染め糸に仕上がります。

 

 

叩いた後の糸はとてもきれいな青色ですが、ここから染めを洗い流してしまうので、実際はもっと薄い水色になっています。この染めと洗いを繰り返して少しずつ色を重ね、より濃い藍色にしていきます。

 

 

藍染めは粒子の付着により染まります。本藍染めが他のインド藍などと違うのはその粒子の大きさです。例えばジーンズのような青い色を、粒子の大きいインド藍では数回で染め上げてしまいますが、細かい粒子の本藍染めではその10倍の回数で染め上げます。細かい粒子で染めの層を重ねていくので、色落ちのダメージを小さく抑えられるのです。因みに「本藍染め」とは蓼藍で染めることを言います。他の藍染めと区別する為にそう呼ばれます。

 

藍の効能

藍染めの布は消臭・抗菌・虫よけなど様々が効果があり多用されていました。例えば、昔の蚊帳は蛇やムカデを避けるために裾だけ藍染めされていたり、夏の浴衣は蚊よけのために藍染めを着たり、古い浴衣は藍の抗菌作用を活かして赤ちゃんがかぶれにくいオシメになります。刃物にも強いと言われ野良着や脚絆に使われたり、紫外線吸収率が高いことから暖簾、難燃性もあるので火消しの半纏にも。また、原料の蒅は解毒、抗炎症などの薬効成分があり、江戸時代は旅の携帯薬として蒅を印籠に詰めていました。昔は日常のあらゆる場面で藍の効能が必需品だったのですね。野良着のこぎん刺しが藍染めでなければならなかった訳にも納得しました。

 

 

この薬効成分、今も藍染めの職人さんには重宝しているようです。職人の皆さんの染めを終えた後の手。爪の藍はなかなか落ちないようですが、手肌はとてもツルツルしています。本藍染めならではの発酵菌のおかげなのだそうです。

 

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藍染めは明治以降、本藍染めより手軽に染められるインド藍の輸入、さらに効率的に染められる化学合成染料に代わりシェアはどんどん狭められていきました。戦時中には絶滅の危機を乗り越えた白花小上紛の種ではありましたが、戦後の高度経済成長の世の中で手頃な藍染製品に押され、天然本藍染めを続けていくことは全くもって簡単なことではありませんでした。現在では、本藍染雅織工房のように植物の発酵力と向き合いながら、天然本藍染めを行う染屋は指折り数えるほどしかありません。

 

日本の伝統工芸は、生産効率の上で便利な工業製品や海外の代用品に代わり、そのことで代用前の工芸が日本人の生活にもたらした利益の大部分を失ってしまったように思います。前述した藍の様々な効能もケミカルなものが一切含まれない天然灰汁醗酵建藍染でなければ効果は発揮されません。この藍の多様な効能は現代人には不要なのでしょうか?製造の効率は良いとは言えませんが、製品は消費者の日常生活に効率よく役立つ存在なのではないかなと思うのです。日本の本藍染めが現代の消費者に及ぼす利益は大きいのではないでしょうか。本藍染めには、こんなに多様な効能があるとは知りませんでした。出来上がった糸を使うのが今からとても楽しみです。

 

本藍染雅織工房についてはこちら

後継者不足が問題視されている伝統工芸ではありますが、本藍染雅織工房は若い職人が多くてびっくりしました。藍の世界を網羅できた貴重なお時間をありがとうございました。

 

 

koginbank編集部 text・illustration:石井、photo:岩田、協力:葛西郁子






 


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