愛おしき布

資料画像をフォルダから探しているとき、いつも目を止めてしまう古作こぎんがあります。モドコDBや取材でお世話になっている、大川さんのコレクションの中の1枚です。小さな模様をただひたすらに繰り返すシンプルな作品で、こぎん刺しを楽しむ私たちにとっては、一見すると地味なこぎんに映ります。
大川さんのコレクションは東こぎんが多く、その特徴は切り返しなく布一面に展開する迫力ある模様にあります。私の目を惹きつけて放さないこの1枚はコレクションの中で一番地味かもしれません。この愛おしさとは、いったい何なのでしょう。

単調だからこそ、ごまかすことができない。目についてしまう模様の不均一さには、全てをさらけ出す潔さを感じます。布から滲み出る人間味から作り手に思いを馳せるのです。刺し手だけが、作り手なのではありません。素材を収穫する手、糸を紡ぐ手、布の織手。この布が出来上がるまでのすべての工程が手仕事だった時代の、各工程を真剣に担った多くの人の手から生まれた布と糸。作り手の全てを束ねて模様を入れる刺し手の緊迫した息づかいが想像できます。
なんて書いてみたものの、私の感じている愛おしさはこんなものではなく…。この布を見るたび、愛おしさの余韻の中に、うまく言語化できないもどかしさも湧き上がってきます。

先日、1年ぶりにこぎん刺しの取材を再開し、一人の作家さんを訪ねました。常々感じていた愛おしさを感じる手仕事とそうでない手仕事があるのはなぜなのか?そんな会話を交わし、作家さんの言葉から愛おしい手仕事の正体にヒントを得た取材でした。
さらにその数日後、日本民藝館で手にした雑誌『民藝 』868号には、漆工家の佐藤氏と日本民藝館の館長でありプロダクトデザイナーでもある深澤氏の対談が掲載されていました。その対談では、モノの味わいに触れており、これが私の愛おしい手仕事の言語化を一段明るくしてくれました。
「味がある」モノ
クラフトの世界でよく耳にする言葉です。しかし、いつからこんな言葉が使われるようになったのか。作り手が自ら発するのは野暮だし、こんな軽い言葉で済ませていいのだろうかと疑問に思いつつ、安易に口にしてしまう言葉です。私がこのこぎん刺しに感じている愛おしさも「味がある」と言い換えることができるかもしれません。
深澤:ー不完全を狙ってやるのはやらせだと思うんです。でも、完全を狙ってできなかったのは味だと思うんですよ。
佐藤:やっている側からすれば、味でもなんでもないんですよ。どこかに悔しさはありますが(笑)。
『民藝』2025年4月号(868)無作為の美より

なんとなく感じていた味という言葉を軽々しさの答えがここにありました。思いもしなかったけど皮肉な言葉。もしかして語源は「人の不幸は蜜の味」だったり?多くの人はそんな風には微塵も思うことなく使っているはずです。
完璧を目指したけど届かなかった悔しさ。その純粋な心残りがふわっと香り私たちを引き寄せるのかもしれません。手仕事に感じる愛おしさは、作り手の悔しさに寄り添う優しさなのでしょうか。愛おしいものには、人の情感を連鎖させてつなげる力があるのか。と思ったのでした。
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日本民藝館で現在開催中の特別展では、愛おしい手仕事が満載です。ぜひ脚をお運びください。
特別展 『民藝 無作為の美―深澤直人が心を打たれたものたち』
プロダクトデザイナーで館長である深澤直人氏が、館蔵コレクションの中から自身が感動し刺激を受けた生活道具を選び、「温もり」や「親しさ」「愛らしさ」といった民藝美の魅力に光を当てます。
2025年6月1日(日)まで
〒153-0041 東京都目黒区駒場4丁目3番33号
10:00~17:00(最終入館は16:30まで)
毎週月曜日休館(ただし祝日の場合は開館し翌日休館)