こぎん刺し伝統工芸士・工藤夕子さん

伝統工芸士の肩書きがもたらしたもの
「認定をいただいて、ようやく“何者かになれた”気がした。」
そう語るのは、青森県指定伝統工芸品「こぎん刺し」で、2022年に伝統工芸士となった工藤夕子さん。彼女は当初「伝統工芸士」という制度の存在を知りませんでした。
青森県では2001年から、県指定の伝統工芸品に高度な技術をもって携わる人を「伝統工芸士」として認定する制度を設けています。それらの工芸品には、津軽塗のように国の指定を受けている工芸品もあれば、こぎん刺しや菱刺しのように、県独自で守り伝えている伝統工芸もあります。
工藤さんはこぎん刺しにおいて、10人目の伝統工芸士。現役で活動する4人うちのひとりです。
”何者かになれた”という工藤さんの言葉には、就職氷河期を生きた世代ならではの重みを感じます。趣味として始めたハンドメイドから始まり、いつしか生活の中心となったものづくり。その歩みを、社会が「伝統工芸士」という肩書きで評価したことは、大きな意義があるように感じました。

伝統は人と人のあいだに
こぎん刺しは、津軽地方の厳しい自然の中で、農民たちが麻布の衣類を丈夫に暖かくするために生み出した知恵です。模様の美しさだけでなく、日々の暮らしの中から生まれた実用性も含めて、こぎん刺しは人々の生活に根ざしてきました。
工藤さんの活動の魅力は、こぎん刺しの制作技術が優れているというだけではありません。作品を通じて生まれる「人とのつながり」そのものにこそ、彼女の真価があります。
2020年、工藤さんが主宰する教室の仲間たちと企画したInstagram上で作品展は、koginbankでも紹介しました。
この作品展のあとには、参加者の手記をまとめた文集も制作されました。日々の暮らしの中にこぎん刺しがどう存在しているか。そこには、家庭、介護、子育てなど、それぞれの「生活」とこぎん刺しとの豊かな接点が記されています。こぎん刺しが単なる手芸ではなく、生活の中で人を癒やす文化として根づいていることを証明しているかのようでした。

筆者も昨年、弘前で工藤さんのワークショップに参加しました。地元の方々との何気ない会話の中で針を進める時間は、まるで地元の日常に溶け込んだような体験でした。普通の観光では味わえない、“暮らしに触れる旅”だったのです。
ハンドメイドからの転機
大学卒業後、工藤さんは水泳のインストラクターをしながら教員採用試験を目指していました。しかし、結婚と出産を経て、ライフスタイルが変化。インストラクターを離れ、趣味で始めたハンドメイドのベビー服のネット販売が功を奏し、地元のイベントやお店からも声がかかるようになります。
順調に見えるその活動の中で、ふと「自分の活動が、どこか独りよがりな気がする」と感じた瞬間があったと言います。何が独りよがりなのか、その時はわからないまま過ぎました。それから間もなくして、出会ったのがこぎん刺しでした。

初めて参加したこぎん刺しワークショップで、古いこぎんの着物を見せてもらった時、間違っていてもそこに影響されることなく先の模様が仕上がっている、こぎん刺しのおおらかさに惹かれ、自分もこれをやろう!と決めました。
以来、作品制作にこぎん刺しを取り入れ、「コギンザシスト」としての肩書きを自ら掲げるようになりました。
地域と未来をつなぐ:神明宮再建プロジェクト
2024年3月、五所川原神明宮が原因不明の火災で全焼しました。地元にとって大切な場所だったこの神社の再建に向けたクラウドファンディングでは、工藤さんが返礼品制作で協力しています。
焼失した神社の木材から削り出されたヒバの白木。その鉋屑を使い、香り袋として生まれ変わらせました。試作の段階から「神様のお仕事をさせてもらっているような気持ちだった」と工藤さんは語ります。

これから地元で募るボランティアの人たちとともに、制作していくこの香り袋は、制作の現場そのものが「再建の祈り」となって地域の未来をつくります。とても特別な香り袋なのです。
地域に根ざすとは、伝統を守ることだけではありません。新しい関わり方で、未来へと受け継いでいくこと。その意味を、工藤さんの活動が示しています。
※現在、「天照大神を祀る五所川原神明宮|火災に見舞われ、全焼した拝殿の再建へ」のクラウドファンディングは、第1弾が6/30まで支援受付中です。https://readyfor.jp/projects/shinmeigu
伝統を生きる
「伝統工芸士の認定をいただいて、地域に根差した活動をしようという気持ちが増しました。」
取材の後、工藤さんはそう伝えてくれました。しかし、むしろ逆じゃないでしょうか。「地域に根差して活動していたからこそ、伝統工芸士に選ばれた」人。工藤さんが最初に話していた「何者かになった」実感は「独りよがり」から脱却できた覚醒の言葉だったのかもしれません。
生活に根ざした美しさ、仲間と楽しむものづくり、誰かに喜ばれる手仕事。そのどれもが、肩書きの有無に関係なくずっと前から工藤さんの中にはありました。そしてそれが、結果として伝統工芸士へと結びついたのだと思います。
伝統は、決して過去の遺物ではなく、今を生きる人たちの手によって柔らかく編まれ続けている。工藤夕子さんの活動は、その事実をそっと教えてくれます。

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三つ豆・工藤さんの最新情報はインスタグラムをご覧ください。https://www.instagram.com/mitumame.3/