夏休み2017・大川亮とこぎん刺し
夏休みにもう一つ古いこぎん刺しを尋ねることができました。
弘前への帰省に合わせて私の幼馴染が古いこぎん刺しを沢山持っているご親戚を紹介してくれました。その方は青森県史に名を刻む大川亮氏(1882-1958)のご子息で、この機会を私に作ってくれた幼馴染は大川亮氏のひ孫にあたります。おじゃました家は大きな茅葺屋根の民家。ご子息は現在もこちらで生活しています。
大川亮の農閑工芸研究所
大川亮氏は現在の平川市(当時は大光寺村)の豪農に生まれ、当時の大光寺村会議員、農業共済組合会長、弘南鉄道監査役や弘前こぎん研究所の前身、木村産業研究所の設立にも携わるなど、多岐にわたり地域振興に尽力した人です。中でも特筆すべきは1915年の農閑工芸研究所の創設です。大川氏は1913年の大凶作に苦しむ農家に農作以外の収入源として副業をつくろうと、私財を投じて津軽地区の伝統的な工芸技術を活用した製品開発や販売にこの研究所で取り組みました。その取り組みの一つにこぎん刺しを活用した製品開発があります。
このベストは製品開発の初期のもの。農閑工芸研究所創設間も無く大川氏は親交のあった東京・三越百貨店の武田真一氏にこぎん刺しを送ったところ、これをチョッキに仕立てて宣伝するから送ってほしいと言われます。当時、流行の最先端は百貨店でした。ここから様々なこぎん刺しの製品が発表され、東京でこぎん刺しが好評になりました。大正時代のことです。
女性用のハンドバッグ。これは古作のこぎん刺しをリメイクして作られた物です。
長財布の正面。このこぎん刺しはお財布用に刺されたもの。刺し子とは思えない織物のような目の細かさです。
長財布の裏面は革製の小さなハンドルが付いています。これらは当時の農閑工芸研究所で作られた製品です。研究所では男性のこぎん刺しの刺し手さんもいたそうです。
大川亮から柳宗悦へ
昭和2年(1927年)、三越百貨店でこれらのこぎん刺しを見た京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科の教師であった向井寛三郎氏は大川氏に直接取材をし、雑誌「デザイン」2号で「古錦(こぎん)のはなし」を発表しています。当時、大川氏は「こぎん」に「古錦」という字をあてていました。こぎん刺しが全国誌で初めて発表されたのがこの建築と造形美術の雑誌でした。
「古錦のはなし」には、当時三越での販売を機にこぎん刺しの評判が高まり津軽から大量のこぎん刺しを買い付け東京で流通されるようになったものの、関東大震災で多くのこぎん刺しが消失してしまったという悲しい逸話が書かれています。
この雑誌発表とほぼ同じ頃、向井氏は柳宗悦氏にこぎん刺しの写真を紹介していました。その写真に魅了され、柳氏は教え子の協力を得てこぎん刺しの調査に着手します。その調査の集大成が5年後の昭和7年(1932年)に発表した「工芸」14号です。この「工芸」でこぎん刺しは全国に知られるようになりました。昭和以降のこぎん刺しは趣味手芸で女性のモノという印象が私にはとても強いのですが、今回見せていただいたこぎん刺しの製品はどれもクールで男性的な印象があり、昭和以前の物だとは信じがたい魅力的なデザインでした。しかもこれらの製品がこぎん刺しが全国に知られる足がかりとなり、またこれらの影の立役者が大川亮という男性でありました。現代のカラフルでかわいいこぎん刺しが広がった裏には藍と白の幾何学模様に魅せられた大川氏をはじめとする男性たちによるものだというのはこぎん刺しの歴史の中で興味深いポイントです。
大川亮の感性
ちょっと珍しい柄のこぎん刺しを見せてもらいました。このこぎん刺しは昭和7年発行の「工芸」14号でも紹介された大川氏が収集したこぎん刺しの一つです。モドコの並びが垂直方向が強調されるようにデザインされ。西こぎんとも東こぎんとも一見、見当がつかなかったのですがこれは東こぎんで、晴れ着用のこぎん刺しだそうです。
また、こんな素敵な家具もありました。こぎん刺しを建具に使用しています。
戸棚の扉はどれもこぎん刺しが張られています。上部扉に縞が入っているところから西こぎんとわかります。製品開発の多くは西こぎんの野良着を使っていたそうです。左下の大きな2枚扉は右下の1枚扉のこぎん刺しの裏面を表に見せて使っています。
大川氏はこぎん刺し以外にも地元で産出される石を使った人形や農民が樹皮を編んで作る雨具のケラ(蓑)に編み込まれる模様を生かした小物製品など掲載しきれないくらい様々な製品開発を近隣の農民と共に行っていました。これらの作品は展覧会で多数入賞しており、全国的に評価が高いものでした。
地場の文化や技術を活用し新たな試みを重ねてきた大川亮氏の農閑工芸研究所の実績は昨今の伝統工芸とコラボレーションするデザイナーの先駆けのようにも思えます。今回見せていただいた品々はどれも100年近くの年月が経ているとは思えないくらい状態が良く、当時のデザインが今も鮮明に見ることができます。これらの貴重な文化財を大切に守られてこられたご子息の想いの深さを感じました。伝統文化に携わる者としてこれらの資料に直に触れ、学ぶことが多い貴重な機会となりました。特別な機会をご用意下さった大川家の皆様に感謝いたします。
【参考文献】