浅草で10年 アミューズミュージアム
2019.08.02

今年3月、浅草での10年に幕を下ろしたアミューズミュージアムは、襤褸(ボロ)に触れることができる貴重な美術館であり、古いこぎん刺しや菱刺しの着物も数多く間近に見ることができる唯一の場でもありました。2階の手仕事ギャラリーでは現役作家さんの作品展示販売もあり、こぎん刺しの作家さんには、この場所での作品展開催に憧れた方もいらっしゃるのではないでしょうか。 この10年間で、こぎん刺しは随分認知が広がったと実感します。こぎん刺しをカジュアルに体験できる作家さんの展示会やワークショップなどが見受けられるようになりました。古物として流通するこぎん刺しの価格は10年で数倍に高騰したとも聞きます。こぎん好きの間では、”こぎんブーム”と呼ばれていたりもしますが、このブームを盛り上げた存在として、アミューズミュージアムを挙げないわけにはいきません。青森でも見ることが出来ない数多くのこぎん刺しに触れる場が東京にあったとことは、日本はもとより世界中へこぎんファンが拡大する重要なポイントだったはずです。

「浅草」
当初は、アミューズがアクティブシニア層に向けた知的エンターテイメントを提供する場としてスタートした新事業でした。 ”アクティブシニア”とは、定年後も、趣味やさまざまな活動に意欲的なシニア世代を言います。当時のこの世代は、いわゆる団塊世代。国内人口比率が高く、彼らの一斉退職がによる悪影響が懸念され、”2007年問題”という言葉が当時話題になりました。一方で、リタイアし時間に余裕ができる彼らの新しいライフスタイルには注目が集まりました。”アクティブシニア”という言葉はこの頃から使われだしたようです。 新事業に相応しい場所を全国各地から探していた会長の大里洋吉さんと辰巳さんは、世界の都市ではエンターテイメントと観光が、密接に結びついて発展していることに着目しました。ならば、日本で一番観光客が多い場所、そして自分たちが拠点とする東京からだとどこが良いのだろう…。 そう考えていたところに、大里会長が「これからは浅草だ!」と。


美術館つくるぞ!




浅草から世界へ
2009年10月に半年の準備を経て無事にオープンしました。オープン当初は電車の吊り広告などのプロモーションを積極的に行っていましたが、展示内容の専門性が強すぎるためか、効果は得られませんでした。なかなか認知は広がらず、人も集まらず、プロモーションの余裕はなくなり、お金もなくなり…。窮地に追いうちをかけるように2011年3月の東北大震災。あの頃は浅草に限らず東京の街は人がまばらでした。

インタビュー:koginbank編集部 text:石井 photo:鳥居